旧三福不動産|小田原市にある不動産&リノベーションの会社

あの人と小田原 ―三河屋商店・河西さん―

 
小田原に長く住んでいる人には、どんな人がいるのでしょうか?
その人の半生から、そこから垣間見れる小田原の知られざる歴史まで。ひとりの人、ひとつのお店を通して、小田原を深く掘り下げるコラムです。
第1回〜3回までの文章と写真は、となり町の真鶴で出版社と宿泊施設を運営する「真鶴出版」さんが担当します。
 

戦国時代に生まれた、青物町商店街

小田原で国道1号沿いを歩いていると、「青物町商店街」と書かれるアーケード街が見えてきます。
駅前の喧騒から離れたところになぜ商店街が?
 
実は青物町商店街の歴史は古く、戦国時代にこの場所で生鮮食品の市(いち)が開かれていたことに由来します。
今は釣具屋や飲食店が並ぶエリアとなりましたが、かつて「青物町」だった面影が残るのが、ここ鶏肉・鶏卵専門店〈三河屋商店〉です。
 

 


 


 


「この辺りのエリアはなかなか粋な場所だったんですよ。商店街の裏手は“宮小路”と呼ばれていて、料亭があったり芸者がいたり。当時の大人にとっては憧れでしたね。夜11時を過ぎても歩いてる人がたくさんいて」
 
と教えてくれたのは三代目店主・河西聡さんの奥さん、直子さん。
商店街のすぐ裏側が小田原きっての歓楽街。
「置屋」と呼ばれる芸者を抱える家が立ち並び、「待合」という黒い垣根に囲われた貸座敷もあったそうです。
 

店の裏路地の昔の写真を見せてくれた。柳のような木が並び、料理屋の看板も見える。


 

自転車で鶏を運ぶ? 90年以上愛される店

〈三河屋商店〉の創業は昭和3年。
山梨出身の聡さんの祖父が、サラリーマンから転身して立ち上げ今年で創業93年を迎えました。
 
「昔は鶏を自転車のカゴに入れて、箱根湯本の旅館まで行っていたんです。途中でバスが来たら、自転車に乗ったままバスに掴まって運んでもらって。バス側もそういうのを承知していたみたい。旅館に着いたら、下働きの人たちがたくさんいる前で『はい、今日は何羽』って、そこで解体して。それで温泉に入って、ご飯ももらって小田原に戻ってくる。初期の頃はそんな感じだったそうです」
 

かつての〈三河屋商店〉。昔は注文に応じて鶏を一羽ずつさばいていた。


自転車で配達していた頃の叔父。


60年以上前は自前で養鶏していたこともあった。かつての養鶏場の一枚。〉


現在、〈三河屋商店〉が扱う鶏は「健味どり」と呼ばれる山梨の銘柄鶏。
鶏肉特有の臭みがなく、サッパリとした味わいが特徴の鶏肉です。
わざわざ遠方から車で買いに来るお客さんもいます。
 
「いろいろな鶏を試してきたんですけど、やっとたどり着いたのが健味どりで。1本500gもある骨つきのモモなんです。それを全部うちでさばいて。あるお家の方は、うちではなくてスーパーで鶏肉を買ったのが子供にバレて『お母さん、これスーパーのだね』って言われたらしいです(笑)」
 

この地域周辺では“卵屋さん”の愛称でも親しまれている〈三河屋商店〉。昔から続く紙袋での卵の販売もある。


 

化粧品業界から鶏肉の世界へ

直子さんは小田原の隣、真鶴町の出身。
〈三河屋商店〉に嫁ぐ前はなんと、外資系の化粧品会社に勤めていたそう。
 
「子供の頃、真鶴の駅前に一軒だけ化粧品屋さんがあって、そこに半年に一度だけ資生堂の美容部員さんが来てたの。その方を見て、『なんて綺麗な人なんだろう』って。私、絶対に化粧品会社に行くんだって決めたんです」
 
大人になり、幼少期に抱いた夢を見事叶えた直子さん。
それからは真鶴と東京を行き来する毎日が始まります。
東京での会社員生活は、実家を忘れるほど楽しかったと語ります。
 

 


「まだ景気も良かった時代で、上司にはよくお寿司屋さんに連れて行ってもらえました。どこかで遊んでいても、隣の知らない人がお金を払ってくれるなんてこともよくあった。真鶴から東京に通ってるって言ったらみんな優しいから泊めてくれて。実家に帰るのは一ヶ月に二日間だけなんてこともあったよね」
 
「楽しくてしょうがなかった」という会社員時代でしたが、夫・聡さんとの結婚を機に会社を辞め、〈三河屋商店〉に嫁ぐことになりました。
 
「出会ったときには、肉屋をやっているとだけ聞かされていて、お店のことはよく知らなかったんです。まあなんとかなるかなって、軽い気持ちで来ちゃいましたね。そうしたら、当時は内臓(モツ)の入った鶏を扱っていたので、すごく獣みたいな匂いがして……(笑)。でも一年もしたら匂いも気にならなくなるの」
 

慣れた手際で豪快に「健味どり」を捌く直子さん。


 

子供から人生の先輩まで、人との出会いを楽しむ

化粧品会社で接客業を経験していた直子さん。だからお客さんとの会話はお手の物でした。
その明るい人柄と小田原の土地柄あってか、このまちにもすんなり溶け込めたといいます。
 
「やっぱり小田原の人って親切だよね。自転車の空気が抜けてると、ちょっと待ちなって空気入れてくれるし。
よその子の面倒もよくみてくれる。休みの日なんかは、近所の子供たちがよく遊びに来たりするよ。初めてのおつかいでうちに買い物に来てくれて、前の通りから親がこっそり見てたり。この辺の人はみんな、子供が来てもいやってことはないと思う」
 

店内には近所の子供たちが描いた絵が飾られている。


化粧品会社という華やかな世界から地域の鶏肉屋さんに。
「未練はちょっとあったけど」と前置きしながら、直子さんは言います。
 
「ここはここでまた違う楽しさがあるんです。近所の先輩やお客さんになんでも聞けて、答えてくれる。あっちが痛いと言えばこうしろと言い、こういう悩みがあるといえばこうしろと言う。みんなに育てられてるのかな。まだ育てられてる感じ」
 

溢れる人情から生まれる、新しい地域

小田原市内の中でも取り分け仲が良いという青物町。
祭りのときには、まちの若い人たちのために手羽元の唐揚げをたくさん出すそうです。
〈三河屋商店〉の大きな冷蔵庫には、みんなのビールのストックがあるといいます。
 
「青物町ってみんな仲が良いので、外にテーブルを置いて、みんなでご飯食べたりするんです。私よりうちの冷蔵庫のことを知ってて、その飲み物どこから持ってきたの?って。夏なんてしょっちゅうだったね」
 

 


青物町商店街に残っているのは、どこか懐かしい時代の風景。
スーパーや大型商業施設に行けばなんでも揃うような今の時代に、専門店ならではの味や商品はもちろん、商店街に溢れる“人情”を求めて訪れる人たちも多いのかもしれません。
 
「正直いつまでできるんだろうっていうのはあります。いつかは終わりにするときがくるじゃないですか。でも遠くからのお客さんや、近所の常連さんに来てもらっていると、明日も頑張ろうって思うんです。最近ではまた周りに少しずつお店が増えてきて、変わってきましたね。これから若い人たちで、新しい地域ができるんじゃないかって思ってます」
 
近年では〈すみれcafe〉、〈BAR MIZUNARA〉、〈牛たん 満月〉など新しいお店も増えてきた青物町商店街・宮小路周辺。
2021年3月28日には、松原神社のそばに〈Cafe EVERGREEN〉がオープンします。
 
昔懐かしい人情を残しながら、このエリアに新たな息吹が生まれ始めています。
 

 


▶︎三河屋商店
住所)小田原市本町2-5-8
営業時間)9:00-18:00
定休日)日曜日・水曜日
 
 
▼三河屋さんのある青物町はこんなところです

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