旧三福不動産|小田原市にある不動産&リノベーションの会社

あの人と小田原 ―有限会社長谷川釣具店 谷川 純一さん・雄一さん―

 
小田原に長く住んでいる人には、どんな方々がいるのでしょうか?
その人の半生から、そこから垣間見れる小田原の知られざる歴史まで。ひとりの人、ひとつのお店を通して、小田原を深く掘り下げるコラムです。
 

小田原漁港ができるずっと前から、小田原の海とともに

令和の現在、小田原の漁業の中心地は小田原漁港(早川漁港)という印象が強いですが、実はこの港が完成したのは戦後20年以上経った1968年(昭和43年)のこと。意外にもまだ歴史の浅い港です。
 
港ができるずっと前、明治時代から小田原の海を見守ってきたのが青物町商店街にある〈有限会社長谷川釣具店〉(本町)です。
営むのは、3代目店主・谷川純一さんとその息子で4代目の店長・谷川雄一さん。現在は主にルアーフィッシング用のルアーや竿などを販売し、不定期でお客さんと一緒に全国へ遠征釣行をする企画も開催しています。
 

 


 


店内のあちこちにお客さんとの釣行で撮った写真が飾られている。


純一さんが幼い頃に見ていた海は今とはまったく違った姿だったようです。
 
純一さん(以下J):「俺が子どもの頃は今の市営プールのあたりに魚市場があったんだよ。その下の海岸沿いに、御幸が浜から山王までダーッて漁船が並んでたんだ、その頃は。まだ港なかったんだから」
 
千度小路(現在の本町の一部)に1879年(明治12年)に開設された魚市場を中心に小田原の漁業は繁栄していきました。
〈長谷川釣具店〉の始まりも、本町に魚市場があった頃に遡ります。純一さんの祖父が日露戦争後に傷痍軍人として戻り、魚市場のすぐそばに「長谷川漁具店」を開業したのが明治の終わり頃。開業当初は現在のような釣り人向けのお店ではなく、漁業を生業とする漁師さんのための“漁具”(米や塩、タバコなど、漁船に乗せる必需品)を扱うお店でした。
 

1953年(昭和28年)に撮影された小田原(浜町付近)での浜揚げの様子[神奈川県西部漁港事務所HPより引用]


 
純一さんの子ども時代は、小田原の漁業の全盛期。漁師さんの数も多く、魚市場や浜は活気に満ちていました。
 
J:「あの頃の漁はね、キンメダイだったんだよ。浜から船を出してキンメ漁が帰ってくると、船の上がもうキンメだらけだったんだよね」
 
ほかに定置網漁でブリもよく穫れていて、“ブリ御殿(ブリ漁で稼いで建てた御殿)”という言葉が生まれるほど景気がよかったそう。ですが、だんだんと状況が変わってきます。

1970年(昭和45年)に撮影されたブリ漁の様子。


 

漁獲量と漁師の減少とともに、漁具店から釣具店へ

J:「キンメがまず釣れなくなった。要するに穫り過ぎなんだよね。これは商売になるっつうといろんな船が攻めちゃうから穫り過ぎになって、それが自分の首絞めることになるわけ。で、魚が釣れなくなって漁業をやめた船がみんな遊漁船に切り替わっちゃった。今は定置網の漁師だけが本業の漁師としてやっていて、小田原に1本釣りの漁業はほぼ消えてしまったと言っていい」
 
乱獲だけではなく、取水堰やダム、西湘バイパス(1967年[昭和42年]完成)などの建築により海の環境そのものも大きく変わっていき、小田原は漁獲量の減少と共に漁師さんの数も減っていきます(令和4年時点で小田原市内の漁業従事者は89名)。
実は現在小田原漁港に並んでいる船のほとんどは遊漁船(乗客を漁場へ案内し釣りをさせる船)なのだと言います。その流れを読んだ純一さんは、1970年代の初め頃に漁師相手の漁具店から釣り人を相手にした釣具店へ業態を切り替える決心をします。
 
J:「そういう時代の流れがあったから、釣具店にならざるを得なかったんだよな。ただやるんなら小田原でトップになりたい!っていうことで始めたんでね。最初は釣具の問屋に3年間ぐらい修行へ行って、戻ってきてから青物町に移転したの」
 
その頃に商号を『有限会社長谷川釣具店』と改めました。
 

純一さんはバイタリティ溢れるエピソードをたくさん聞かせてくださいました。


J:「あの頃は浜からキスが釣れたんだよね。御幸が浜から山王川まで投げ釣りの人がずーっと並んで、隙間がないぐらいだった。だからうちもキスの餌、ジャリメとかね、アオイソメとか、そういうのを扱うのがメインだったんだよね」
 
しかし、1990年代に入るとまたもや小田原の海に大きな変化が訪れます。御幸が浜から山王川まで西湘バイパス沿いの海岸から40mほどの海底に“隠れテトラ”が設置されたことで、釣り針を投げると沈めた消波ブロックに道具が引っかかってしまい、浜からの投釣りができなくなってしまったのです。

※隠れテトラ:海岸からの波がバイパスにかぶらないように、また砂浜が波に取られて陸地が削れていかないようにするために沖に設置される消波ブロック

 

ルアー専門店として小田原でパイオニアとなっていく

この状況を見て、純一さんは浜からのエサ釣りに見切りをつけ今度はルアーを専門にしたお店へ舵を切っていくのです。同時に小田原で釣り客を乗せたルアー船の運航も開始して、〈長谷川釣具店〉は小田原のルアーフィッシングの先駆けとなっていきます。
 
J:「まずはルアー船に乗る輪を広げようという考えがあって、それで10年間ルアー船をやってたの。最初はあちこち見て回ってね、こういうふうにやれば釣れるんだっていうのをまずは自分で覚えて、今度は順番にお客さんを連れてって釣り方を教えたんだ」
 
実は90年代にはお客さんを連れてカナダ、アラスカ、オーストラリアなど海外への遠征釣行も行っていたのだそう。
 

2007年に与那国島へ釣行した際の写真。中央が純一さん。


さらなる変化は、小田原でマグロが釣れるようになったこと。黒潮の蛇行、温暖化、漁協によるパヤオの設置などによって相模湾にキハダマグロが入ってくるようになり、マグロを釣ってみたい、というお客さんが増えてきました。

※パヤオ(浮魚礁):回遊魚が流木に集まる習性を利用した漁具の一種で、海面に浮かべるブイのようなもの。

海の変化、お客さんのニーズの変化…その時々の潮目を読んで決断を重ねてきた純一さん。ここでも新しい波にしっかり乗っていきます。
 
J:「魚釣りの中でやっぱりマグロって別格なんだよな。やっぱりルアーをやってる連中のなかでもマグロを釣るっていうのが一番トップなわけよ。うちはマグロに特化して、マグロ用のルアーとか竿を多く扱うようになって今は伸びてるんだよね」
 
さらに現在は、雄一さんがお客さんを案内し九州、新潟、青森、伊豆諸島など日本各地でマグロを釣る遠征を行っています。
 
雄一さん(以下Y):「大間とか、漁師が釣ってる海域のマグロを狙うっていうとやっぱり夢があるじゃないですか。」
 
マグロを釣り上げたお客さんたちのいきいきとした表情を見れば、皆さん本当に釣りを楽しんでいることが伝わってきます。
 

 


 

時代ごとの荒波を乗り越え、バトンが引き継がれていく

父・純一さんの背中を見続けてきた4代目の雄一さん。ですが…実は子どもの頃は釣りが好きではなかったと言います。船酔いもするし船ではお父さんに怒られてばかり。釣りが楽しいと思うようになったのは、中学時代に友だちに誘われてスズキを釣るようになってからだそう。釣具屋の息子らしからぬ意外なエピソードですが、幼い頃から父に連れられてカナダやオーストラリアへも遠征し、着実に釣りの経験を積んできました。
 

先週もマグロを追いかけて青森へ行ってたんです、と笑う雄一さん。


そして高校卒業後に2年間釣具メーカーへ就職して修行したあと、雄一さんもお店に立つことになります。この頃にお店を拡大、リニューアルオープンして〈長谷川釣具店〉は現在の姿になりました。
 
Y:「店を継ごうと思ったのは、お客さまと一緒に釣りに行くことが楽しかったんですよね。よく“大人の遠足”なんて言ってますけど、お客さま同士も僕もみんな同じ趣味ですからね、自然と仲良くなるんです。いまは趣味と仕事、半々くらいの気持ちでやれていて幸せなことだなと思ってます。」
 

1999年、店舗がリニューアルオープンした際の写真。右手は21歳の雄一さん。


 
これまでも時代ごとの荒波を乗り越えてきたおふたり。ここから先にはどんな目標があるのでしょうか。
 
Y:「目標か…目標は続けていくことです。難しいよね。まずは自分が仕事を嫌いにならないよう、飽きないようにしています。それが商いってものかな、って。」
J:「こっからの商売の切り替えにはやっぱりアンテナ立てておくしかねんじゃねえのかな。どんどん変わってって当たり前っていうふうに俺は頭ん中じゃ考えてんだけどね。」
 
創業から100年以上。これからも時代の波を感じながらさらに進化を続けていく〈長谷川釣具店〉です。
 

参考文献:
▼書籍
木幡 孜(2003年).『相模湾・海の不思議ー食と自然と漁業の話ー』.夢工房.
澤 晴夫(2002年).『小田原ライブラリー8 小田原さかな物語』.夢工房.
 
▼WEBサイト
神奈川県(2023年).「小田原漁港・海岸ナビ 本港エリア」.西部漁港事務所トップページ.(参照 2023-08-08)
農林水産省(2022年).「市町村の姿 グラフと統計でみる農林水産業 基本データ 神奈川県小田原市」.わがマチ・わがムラ-市町村の世界.(参照 2023-08-08)
(財)亜熱帯総合研究所研究主幹◆鹿熊信一郎(2006年).「パヤオは熱帯沿岸漁業の『救い』となるか」.海洋政策研究所.(参照 2023-08-08)

 
▶︎有限会社長谷川釣具店
住所)小田原市本町2-5-7
営業時間)[火〜土]11:00〜19:00 [日・祭日]11:00〜18:00
定休日)月曜日
WEBサイト)fishing-hasegawa.com
 
▼前回ご紹介した、「平井書店」平井さんのお話もあわせてどうぞ。

あの人と小田原 ―平井書店・平井 義人さん―