旧三福不動産|小田原市にある不動産&リノベーションの会社

あの人と小田原 ―grit・伊藤さん―

 
小田原に長く住んでいる人には、どんな人がいるのでしょうか?
その人の半生から、そこから垣間見れる小田原の知られざる歴史まで。ひとりの人、ひとつのお店を通して、小田原を深く掘り下げるコラムです。
第1回〜3回までの文章と写真は、となり町の真鶴で出版社と宿泊施設を運営する「真鶴出版」さんが担当します。
 

お堀の先にある、ポンデケージョ専門店

小田原城の東側にはお堀があります。
その脇の道「お堀端通り」は、いつも風が気持ちよく通り抜けていて、散歩するのにもってこいの場所です。
 
現在小田原城は、江戸時代の姿に戻すための整備が進められていますが、その動きは平成に入ってからの話。
実は関東大震災直後には、このお堀を埋める計画もありました。
しかし、当時住民から反対運動が起きたためこの姿を残すことができたのです。
そんな住民に愛される通りは、今でも春には桜が満開となり多くの人が訪れます。
 

 


 


「俺が子供の頃はもっとすごい人だったよ。この道は今より少し狭くて、夏の花火大会のときなんかは道路を閉鎖してね。ずらーっと人が座って、海から上がる花火を見たんだ。ちょうどこのお店の前のところで、道路に寝そべって見たのを覚えてるよ」
 
そう語るのは、「お堀端通り」の先にある〈grit〉の店主・伊藤さんです。
 

この先に海があり、そこから花火が上がった。


 

料理人歴40年。これまでに7店舗を経営

〈grit〉は、「ポンデケージョ」専門店。
このポンデケージョという言葉、日本ではあまり馴染みのない言葉かもしれません。
ポンデケージョとはブラジル発祥のパンのことで、ポルトガル語でチーズパンを意味します。
キャッサバ(芋の一種)から採れるタピオカ粉とチーズを練った生地を“発酵をさせずに”焼き上げるのがポンデケージョの特徴です。
 
「きっかけはブラジル人でもなんでもなかったんだよな。たまたまテレビ番組でポンデケージョ特集をやっていて、それですぐにレシピを調べてつくってみた。そうしたら製造工程も簡単で、なにより味に独自性がある。で、ビビッときてお店をつくることにしたんだよ」
 
料理人歴40年のシェフである伊藤さんの生まれは三重県。12歳の頃に小田原に引っ越してきました。
 
「子供のとき、お袋はスーパーのお惣菜屋で働いてたのよ。高校のときのお弁当はいつもお惣菜屋の残りもの。海老のかき揚げを醤油と砂糖と卵でとじて、それがご飯の上に乗っかってるやつ。あとはクリスマスシーズンになると毎日鶏ばっか食わされる(笑)」
 
そんなお母さんの背中を見ていたからか、高校卒業後の就職先も食品関係。
小田原を出て、川崎の卸売市場で仲卸業の仕事に就きました。
 

 


「朝早くから市場へ行って、競りで落とした魚を魚屋や料理屋に販売する仕事。お得意さんのところには配達もしてあげていて。そうしたらあるレストランの料理長が優しくて、届けに行くといつも一杯食わせてくれるんだよ、小僧だからさ。これがまたうまいんだよな。それで『ああ、俺も料理屋やりたい』って、19歳のときに小田原に帰ってきたんだ」
 
料理の経験や知識もほとんどなかったという伊藤さん。
最初の半年間だけアルバイトで経験を積み、ちょうど良い物件を見つけるやいなや、あっという間に自分のお店を始めてしまいます。
その後知人のスパゲティ屋を譲ってもらうなどの機会にも恵まれた伊藤さんは、これまでに7店舗ものお店を経営してきました。
居酒屋、惣菜、創作料理など、そのジャンルは多岐に渡ります。
 
小田原の食材を使った「小田原どん」というご当地グルメも、一番最初に始めたのは〈菜こんたん〉という伊藤さんが経営していた和食屋。
伊藤さんは地元の若者たちが慕う、兄貴分のような存在です。
 

〈菜こんたん〉時代の伊藤さん。

両親のために見つけたポンデケージョ

〈grit〉が生まれたのは2007年。当初の店名は〈ポンデケージョ専門店 イトウ〉でした。
伊藤さんは飲食店を当時3店舗も飲食店を経営していたのですが、なぜここにきてまた新しいお店を? 
その背景には、伊藤さんのご両親の存在がありました。
 
「じいさんとばあさんが二人だけで経営できて、どっちかが昼寝してても、どっちかが病気になってもできるような、簡単につくれて、ロスがない……って条件を全部満たせるものを探してたの。そうしたらさっきのテレビで(笑)。ポンデケージョは発酵させなくて良いから、成形後は冷凍もできる。そうするとそれを営業中にオーブンで焼くだけでいい。しかも独自性もある。これなら一人でもお店を回せるって」
 

ポンデケージョには甘いものとしょっぱいものの二種類ある。しょっぱい方はクルトンのようにスープに入れることもできる。「焼酎にも合うんだよ」と伊藤さん。


モチモチのポンデケージョは歯ごたえがあって癖になる美味しさ。やさしい味なので、子供にも安心して食べさせることができる。


当時の伊藤さんの立場はあくまでプロデュース側でした。
しかし、オープンから7年後の2013年、お父さんが亡くなったことを機に、伊藤さんは他のお店を閉め本格的にこのお店に立つようになります。
 
「3軒も飲食店をやっていて全部借家だったから、家賃だけで60何万も払ってて。売上はちゃんとあったんだけど、ずっと家賃払うわけにもいかないから、良いところがあればいずれは一つに絞りたいと思ってたんだよね」
 
店名を〈grit〉に変更したのもこのとき。
内装も一新し、栄町にある古民家カフェ・nico cafeを拠点とする〈KEMURI DESIGN〉が店舗デザインを手がけました。
そしてポンデケージョ以外にも、シフォンケーキやシュークリームなどのお菓子を販売するようになります。
 

 


 


「今はシフォンケーキづくりにどっぷり浸かってる。40年以上料理をやってきて、肉の火入れもマグロの解体も色々やってきたけど、一番難しいよ、シフォンは。小麦のエイジング(熟成)が難しいんだよ。こだわりはたくさんあるんだけど、例えば小麦は国産しか使ってない。今は兵庫県の小麦をメインに『湘南小麦』を何割かブレンドしている。あとは愛知の『古代小麦』。これもちょっと面白い小麦で……。まあ小麦フェチなんだよな」
 

焼き上がり後のシフォンケーキ。ふわふわの生地がしぼむのを防ぐため、逆さでビンに挿しながら粗熱を取っていきます。かさ高の目標は15cm。「こんなに大きいのはなかなかつくれないんだよ」


店名である〈grit〉の意味は「やり抜く力」。
常に新しいものに挑戦してきた伊藤さんの料理への姿勢は、昔も今も変わることはありません。
その店名の通り、目標は生涯現役の料理人でいることです。
 
「今つくろうとしてるのは、“プルプル系”のシフォンケーキ。通常より水分量を多くしたり、製造工程を微調整したりするとプルンプルンになるんだよ。料理って山登りと同じで、完成した段階でもう次が見えてきちゃう。その繰り返し。それで、死ぬギリギリまで仕事していたい。『あいつは職人だったな』って生き様を見せていきたい。そういう思いがずっと前からあって、今は終活してるんです。でも、最後に良いものをヒットさせたいな。大ヒットじゃなくて良い。小金稼ぐぐらいで良いからさ(笑)」
 

 


 
▶︎ポンデケージョ・grit
住所)小田原市本町1-11-14
営業時間)11:00-18:00
定休日)水・木曜日
 
 
▼青物町商店街にある鶏肉・鶏卵専門店「三河屋商店」さんにもお話をお伺いしました。

あの人と小田原 ―三河屋商店・河西さん―