あの人と小田原 ―野澤作蔵商店 野澤俊男さん・尚和さん―
小田原に長く住んでいる人には、どんな方々がいるのでしょうか?
その人の半生から、そこから垣間見れる小田原の知られざる歴史まで。ひとりの人、ひとつのお店を通して、小田原を深く掘り下げるコラムです。
気になるあの建物は…お土産物や食品、雑貨を扱う老舗の問屋さん
ここ数年で新たなお店が増えて少しずつにぎやかさを取り戻している、青物町商店街。その一角にある渋いのれんと重厚な木の引き戸が印象的なこのお店、いつも人が出入りしているけど、ここって何屋さん?あ、ガチャガチャがある!入ってもいいのかな?…なんて道ゆく皆さんにはもしかしたらちょっと謎の存在だったかもしれません。
この建物の正体は、お土産物や食品、雑貨の商品企画と卸売業を行う創業140年を超える老舗の問屋さん、〈野澤作蔵商店〉。箱根や横浜、県外では静岡や日光、遠くは京都、大阪など全国各地のほか、海外へも商品を届けています。
こちらは事務所ですが、一部が店舗になっているので実はお買い物もできるんです。エイッと足を踏み入れてみると、箱根細工などの伝統工芸品や地元食材を使った食べ物、キャラクターグッズなどが並んでいます。小田原にまつわるギフトをお探しなら、これだ!ってものがきっと見つかるはず。
震災、戦争、人が溢れにぎわった時代…青物町の変化と共にあった100年間
〈野澤作蔵商店〉を営んでいるのが、4代目になる社長・野澤尚和さんと3代目の会長・野澤俊男さんです。創業は1875年。大政奉還の8年後と聞くとその歴史の古さがよくわかります。創業当初は、屋号になっている野澤作蔵さんの父、好兵衛さんが免許を受けて衡器、つまり秤(はかり)を作って売る商売をされていました。代が替わり1921年頃から野澤作蔵さんが箱根物産(小田原・箱根地方産の木製品)の卸業を始めたのが、現在も事務所のある青物町です。当初の建物は残念ながら太平洋戦争の小田原空襲で消失してしまいましたが、戦後に再建してからは同じ建物が今も大切に使われています。
〈野澤作蔵商店〉のある青物町と、そのお隣の宮小路と言えばかつては大変活気のあるエリアでした。1949年(昭和24年)生まれの俊男さんの記憶には当時の華々しい様子が残ります。
俊男さん(以下、T):「私が小さな頃は、この商店街は空きがないくらいびっちりお店で埋まってにぎやかでしたよ。目の前には映画館があって、昔はうちがオーナーだったんだよね。その頃は今の錦通りよりも人が多かったかもしれないですね」
すぐ隣の宮小路も料亭や飲み屋、スナック、カラオケなどが軒を連ね、連日人が押し寄せていたと言います。尚和さんはそんなかつての宮小路の姿を知る最後の世代かもしれません。
尚和さん(以下、N):「僕が20歳くらいまでは、金曜土曜はこの通り(青物町商店街)が路上駐車で全部埋まっちゃうの。知っている大人もみんな飲みに来てたし、もちろんうちの両親も家で飲む習慣はなくて外に飲みに行ってましたね。人も集まるし店もいっぱいあるし、ここに住んでるっていうのはちょっと自慢だった。僕も社会人になってから週に何度も深夜まで飲んで。そういう人たちがたくさん来てましたから」
その頃に比べるとお店の数も人通りもだいぶ減ってしまいましたが、おふたりにとってここは生まれ育ち、先祖代々商いをしてきた大切な場所。俊男さんは青物町の自治会長、尚和さんは青物町青年会の会長を務めています。
T:「何代もずっとこの場所で暮らしてきたから、これからもここで暮らして商売を続けていきたい。この町内がいつまでも栄えていてほしいと思うね」
N:「商店会としてはアーケードの維持や新しいお店との連携、自治会としても住民が減っていくなかでどう活動を維持していくかとか問題はいろいろあるけど、誰かがやらなきゃいけないことなんだよね。でも自分ひとりじゃない。少ないけど一緒にやれる地域の仲間がいて繋がってるというのが頑張る原動力になっているかな」
“野澤さんが来ないと観光シーズンが始まらない” 全国で求められた小田原の木製品
話を野澤作蔵商店に戻しましょう。先代・俊男さんが大学を卒業し家業に加わったのが1960年代のこと。この頃に主に扱っていた商材は「箱根物産」と呼ばれる木製品でした。実は小田原と箱根は古くからの木製品の産地で、有名な箱根寄木細工以外にも挽物(ひきもの:ろくろを使って製作する盆や椀など)や指物(さしもの:板材を組み合わせて箱やたんすを作るもの)、漆器などさまざまな技法がこの地で発展していきました。俊男さんが働き始めた当時も、小田原の木製品は全国の観光地で販売するお土産品として需要が高く〈野澤作蔵商店〉でもそれに応えてけん玉や駒などの玩具、こけし、小物入れ…数多くの製品を各地へ送り出していました。
T:「僕なんかが若い頃には、“野澤さんが来ないと観光シーズンが始まらない”なんて言われてた。要するに小田原から商品を持っていかないと品物が揃わない、僕らが行ってようやくお客さんを迎える準備ができる、ってことだったんだよね」
旧小田原市民会館(2024年現在解体中)では毎年木製品の見本市が催され、日本全国から生産者や問屋、バイヤーが集まっていたといいます。産地としての小田原のブランド力が高まると同時に、別の地域で作られた商品でも小田原の業者を経由すれば売れるというほど問屋に対する信頼も厚くなっていきました。とにかく忙しかったという1960~80年代。がむしゃらに働いていた俊男さんにとってやりがいとは何だったのでしょうか。
T:「お土産っていうのはやっぱり夢を売るわけじゃないですか。自分で企画したり仕入れたものを誰かに旅先で気に入ってもらって、思い出と一緒にその人の手元に残る。それがどこか誇らしかったね」
変わりゆくお土産文化に合わせて、地域に根ざしたオリジナル商品を
そんな父の背を見て育ったのが、野澤家の長男であり4代目社長、尚和さんです。時代の変化に合わせ、尚和さんの代から食品や歴史グッズ、キャラクターグッズなどより幅広い商品を取り扱うようになりました。そんな尚和さん、幼い頃から疑うことなく家業を継ぐものだと思って育ってきたのだそう。
N:「もう継ぐつもりで育ってるよね。だからやらない、って選択肢はなかった。高校卒業してサラリーマンを15年くらいやって実家に戻ってきたんだけど、もし途中で“家業は継がなくていい”って言われても困ってたなぁ」
15年間勤めたのも同じ問屋業の会社。そこで営業としてメキメキと頭角を現し、良い成績を残しました。
N:「今思うと茶髪で馴れ馴れしくて(笑)ずいぶん生意気だったと思うけど、だから仕事ができないとは思われたくなかったから人一倍頑張ったよね。人にもすごく恵まれていろいろ経験を積ませてもらって、それが自信になったかな」
会社員時代を経て、両親と1名の従業員さんで回していた家業に加わった尚和さん。それまでの経験を活かし自己流で新規開拓をしていきます。たとえば、入社した当時はちょうど「歴女ブーム」が始まったタイミング。その時流をしっかり捉えて歴史関連の商品を多く取り扱うようになり、それまではお土産屋さんが中心であまり取引のなかった雑貨屋さんにも積極的に営業して販路を広げていきました。歴史グッズを足がかりに、大阪城や名古屋城、仙台の青葉城など取引エリアも広く拡大していきます。
それ以降も、尚和さんは時代のニーズを細やかにキャッチしていきます。特にここ数年ではお土産文化そのものが大きく変容してきたと言います。
N:「コロナ禍前くらいから、いわゆるお土産ってみんな買わなくなった。昔みたいに箱にたくさん入ったおまんじゅうを買っていって、職場で“皆さんどうぞ”って配るよりも、仲の良い人用にその人が本当に喜んでくれそうなものや自分用にオシャレなものをちゃんと選ぶようになってきましたよね」
その変化に合わせ、最近では神奈川や小田原の食材を使ったデザイン性の高いパッケージの食品を続々と企画開発しています。現在も小田原の老舗とコラボレーションした商品を開発中だそう。地域に根ざした野澤作蔵商店らしいオリジナル商品を作っていきたい、と前向きです。
歴史に裏打ちされた目利きの力を活かして、次の100年をつくる
さらに2023年から新たに取り組んでいることがあります。『100年続く問屋が選ぶちょっとイイもの』というキャッチコピーと共におすすめの商品を紹介していくことです。
N:「“うちは何を売りにしたらいいんだろう”って相談したら、問屋さんが100年続いているのはそれだけの目利きってことだから、それを打ち出したら?って言ってくれた人がいて。自分たちで製造までしてるわけじゃないし…って思ってたけど、そうか、目利きというのもひとつの価値になるんだ、って新鮮だったんだよね」
それ以来、店頭のポップやinstagramでの投稿で『100年続く問屋が選ぶちょっとイイもの』を積極的に発信しています。どれも数多くの商品を見てきた〈野澤作蔵商店〉だからこそ知っている、地元産の本当に良いものです。見つけたらぜひ手に取ってみてください。
問屋さんという業種柄、普段は消費者の方々が直接関わることは少ない会社ですが、小田原が魅力的なまちである理由のひとつはこんな老舗企業さんが頑張っているからなのかもしれません。「東日本大震災、箱根の噴火、コロナ…5年おきくらいに大きな壁があるんですよね。でも障害があるたびに会社は成長している気がする」という尚和さん。140年間磨き続けた目利きの力と、時代を読んでシフトチェンジしていく柔軟性をもって、老舗の新たな歴史はこれからも切り開かれていくのだと思います。
▶野澤作蔵商店
住所)小田原市浜町3-1-47
営業時間)9:00-17:00頃
定休日)日曜日・祝祭日 ※土曜日は不定休
WEBサイト)nozawasakuzo.com
instagram)@nozawasakuzo/@nozawasakuzo2
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